二代目若乃花とは誰?第56代横綱の実績・引退理由・死因と花田虎上との違いを徹底解説
二代目若乃花は、大相撲の第56代横綱・若乃花幹士(わかのはな・かんじ)です。本名は下山勝則。青森県出身で、若三杉の四股名で人気を集め、1978年に横綱へ昇進しました。幕内優勝は通算4回。引退後は間垣親方として後進を育てましたが、2022年7月16日、69歳で亡くなりました。
「二代目若乃花」と検索すると、初代若乃花や、第66代横綱で現在は花田虎上(はなだ・まさる)の名で活動する人物と混同されることがあります。また、横綱昇進の経緯、1983年の引退理由、間垣親方としての活動、死因についても知りたい読者は少なくありません。日本相撲協会の公式記録と当時の報道をもとに、2026年時点で押さえておきたい情報を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 人物:二代目若乃花は第56代横綱・若乃花幹士。本名は下山勝則。
- 実績:幕内優勝4回。若三杉時代を経て1978年に横綱へ昇進し、1983年1月場所で引退。
- 引退後と最期:間垣親方として部屋を運営し、2013年に日本相撲協会を退職。2022年7月、肺がんのため69歳で逝去。
【人物プロフィール】二代目若乃花は第56代横綱・若乃花幹士
二代目若乃花の本名は下山勝則。1953年4月3日、青森県南津軽郡大鰐町に生まれました。師匠は第45代横綱・初代若乃花の二子山親方です。
日本相撲協会の「歴代横綱」公式プロフィールによると、下山は1968年7月の名古屋場所で初土俵を踏み、1973年7月場所で新十両、同年11月場所で新入幕を果たしています。四股名は下山、朝ノ花、若三杉、そして若乃花へと変わりました。
公式プロフィールに掲載された主な記録は次のとおりです。
- 第56代横綱:若乃花幹士(二代)
- 本名:下山勝則
- 生年月日:1953年4月3日
- 出身地:青森県南津軽郡大鰐町
- 所属部屋:二子山部屋
- 横綱在位:1978年7月場所~1983年1月場所
- 幕内優勝:4回
- 生涯戦歴:656勝323敗85休(88場所)
- 得意技:左四つ・上手投げ
特徴は、相手の力を受け止める柔軟な体と、組んでからの投げ技です。力任せに押し切るだけではなく、相手の体勢を崩して逆転する相撲でも知られました。現役時代には甘いマスクも人気を集め、実力と華やかさを兼ね備えた力士として注目されました。
これらの基本データは日本相撲協会の公式記録で確認できます。生涯戦歴と幕内戦歴は別の集計であり、幕内戦歴は512勝234敗70休です。数字を比較する際は、どの番付までの成績なのかを区別する必要があります。

【若三杉時代から横綱へ】昇進の経緯と幕内優勝4回の実績
二代目若乃花の名を知るうえで欠かせないのが、若三杉時代です。横綱昇進前の彼は若三杉の四股名で土俵に上がり、若々しい容姿と切れ味のある投げ技で人気を獲得しました。
1977年1月場所後に大関へ昇進すると、同年の夏場所では13勝2敗で幕内初優勝を達成。大関として実力を示し、翌年の横綱昇進へつなげました。
転機となったのは1978年の夏場所です。ベースボール・マガジン社の相撲専門記事によると、若三杉は14日目に全勝だった北の湖を上手投げで破り、優勝争いで並びました。優勝決定戦では北の湖に敗れたものの、それまでの成績も含めて2場所連続の優勝同点が高く評価され、場所後に横綱へ昇進しました。
横綱昇進に伴い、四股名を師匠の初代若乃花から受け継いだ「若乃花」に改めます。ここから第56代横綱・若乃花幹士としての歩みが始まりました。
幕内優勝は通算4回で、内訳は大関時代の優勝1回、横綱時代の優勝3回です。横綱としての優勝回数だけを見ると歴代の大横綱には及ばないものの、北の湖らが活躍した時代に最高位を務め、横綱在位は28場所に及びました。
日本相撲協会の記録では、殊勲賞2回、技能賞4回、金星3個も記録しています。単純な優勝回数だけでなく、横綱昇進までの成績、在位期間、技能面の評価を組み合わせて見ると、二代目若乃花の競技者としての実績がより立体的に見えてきます。
【歴代横綱と比較】初代若乃花・花田虎上との違いを一覧表で整理
「若乃花」という四股名には、異なる時代に活躍した複数の横綱がいます。とくに混同されやすいのが、第45代横綱の初代若乃花幹士、第56代横綱の二代目若乃花幹士、第66代横綱の若乃花勝です。
以下の表では、日本相撲協会の歴代横綱プロフィールを中心に、3人の違いを比較します。
| 比較項目 | 初代若乃花 | 二代目若乃花 | 花田虎上(第66代) |
|---|---|---|---|
| 横綱の代数 | 第45代 | 第56代 | 第66代 |
| 本名 | 花田勝治 | 下山勝則 | 花田勝 |
| 生年 | 1928年 | 1953年 | 1971年 |
| 幕内優勝 | 10回 | 4回 | 5回 |
| 横綱在位 | 1958年3月~1962年3月 | 1978年7月~1983年1月 | 1998年7月~2000年3月 |
| 主な関係 | 二代目の師匠。二代目は娘婿 | 初代の弟子で、後に娘婿となった | 初代の甥。芸名は花田虎上 |
初代若乃花は、栃錦とともに「栃若時代」を築いた第45代横綱で、幕内優勝10回を記録しました。二代目若乃花は、その初代若乃花に師事して横綱まで上り詰め、師匠の四股名を継承した力士です。つまり、二人は単に名前が似ているのではなく、師弟関係にありました。
一方、花田虎上は第66代横綱・若乃花勝として活躍した人物です。本名は花田勝で、引退後は花田虎上の名でタレント活動などを行っています。幕内優勝は5回。二代目若乃花とは別人であり、横綱の代数も生まれた時代も異なります。
なお、初代若乃花の弟は大関・貴ノ花利彰で、花田虎上はその長男です。このため、二代目若乃花と花田虎上には、初代若乃花の娘を介した婚姻上のつながりがありました。ただし、血縁関係があったわけではありません。
「初代・二代目・第66代」という区別は、人物を特定するうえで重要です。記事や動画で「若乃花」とだけ記されている場合は、四股名だけで判断せず、代数、本名、現役時代を照合すると取り違えを防げます。

【1983年の引退理由】けがや病気と間垣親方としての歩み
二代目若乃花は1983年1月場所を最後に現役を引退しました。29歳で横綱の座を離れた背景には、けがや病気など、健康面の問題がありました。
スポーツニッポンなどの当時の経歴報道では、横綱昇進後に肝臓病やけがに苦しんだことが伝えられています。横綱として安定した成績を維持するには、毎場所の取組だけでなく、厳しい稽古を継続できる身体状態が欠かせません。故障や病気が重なれば、実力があっても土俵に立ち続けることは難しくなります。
二代目若乃花の引退は、幕内優勝4回という実績を残しながら、横綱としてさらに長く活躍することがかなわなかった転機でした。引退理由を単なる成績不振と捉えるよりも、健康上の問題が競技生活に及ぼした影響を含めて理解する必要があります。
引退後は年寄名跡「間垣」を襲名し、1983年12月に二子山部屋から独立して間垣部屋を創設しました。親方として若手力士の育成に携わり、五城楼、若ノ城、若ノ鵬らの幕内力士を育てています。
後に第73代横綱となる照ノ富士も、若三勝の四股名で間垣部屋に入門した力士の一人です。2013年3月に間垣部屋が閉鎖された際には、所属力士とともに伊勢ケ浜部屋へ移籍しました。二代目若乃花が横綱を引退した後も、相撲界の人材育成に関わっていたことを示す経歴です。
また、1998年ごろから日本相撲協会の理事を務めるなど、協会運営にも関わりました。しかし、2007年3月に脳内出血で倒れ、その後は健康上の問題を抱えることになります。2013年12月19日付で、日本相撲協会を退職しました。退職理由については、協会が健康上の理由を公表しています。
現役時代の華やかな人気と、親方として部屋を率いる立場は異なります。二代目若乃花の経歴には、力士として頂点に立つことと、引退後に後進を育てることの双方が記録されています。
【2022年に逝去】二代目若乃花の死因と晩年、2026年現在
二代目若乃花こと下山勝則さんは、2022年7月16日午後6時47分、肺がんのため大阪市内の病院で亡くなりました。69歳でした。日本相撲協会は同月18日に訃報を発表し、スポーツ各紙がその生涯と実績を報じています。
日刊スポーツの報道によると、肺がんが見つかったのは2021年4月で、その後は入退院を繰り返していたといいます。晩年は大阪市内で生活していました。死因については肺がんと公表されており、ネット上で見かける別の病名や憶測を、公式発表に代わる情報として扱う必要はありません。
また、2007年に脳内出血で倒れたことと、2022年の死因である肺がんは別の出来事です。前者は親方時代の健康問題と相撲協会退職に至る経緯を理解するうえで重要ですが、亡くなった直接の原因として発表されたのは肺がんです。
2026年現在、二代目若乃花はすでに逝去しており、現役力士や現職の親方として活動しているわけではありません。2013年の協会退職後は公の場に登場する機会が限られていましたが、2020年には元関脇・貴闘力のYouTube番組に出演したことも報じられています。
彼の名前が現在も検索される背景には、幕内優勝4回を誇る横綱としての記録だけでなく、若三杉時代の人気、間垣親方としての指導歴、そして初代若乃花や花田虎上との関係があります。2022年の訃報は、その一連の歩みを振り返る契機にもなりました。

【結婚・離婚と評判】初代若乃花との関係、横綱としての評価
二代目若乃花と初代若乃花の関係は、師弟関係にとどまりませんでした。二代目若乃花は初代の娘と結婚し、娘婿となりましたが、後に離婚しています。初代若乃花の親族にあたる花田虎上も、2022年の訃報を受けて故人を悼んだことが日刊スポーツで報じられました。
この関係を整理すると、初代若乃花は二代目若乃花の師匠であり、婚姻を通じて義父にもなった人物です。一方、花田虎上は初代若乃花の甥にあたります。二代目若乃花と花田虎上は、初代を介した婚姻上のつながりを持っていたものの、同じ家系の血縁者ではありません。
結婚や離婚の詳細については、公開された報道で確認できる範囲と、私生活の個別事情を分けて考えることが大切です。人物の経歴を理解するために必要なのは、確認できる婚姻関係と、その後の関係性であり、根拠のない家族事情の推測ではありません。
力士としての評判に目を向けると、二代目若乃花は柔軟な体と上手投げを生かした相撲、そして端正な容姿で知られました。日刊スポーツの回顧記事でも、若三杉時代から女性人気が高く、柔軟な相撲が玄人にも評価されていたと紹介されています。
競技成績の面では、幕内優勝4回、殊勲賞2回、技能賞4回、金星3個という記録が残っています。優勝回数だけで歴代横綱の順位を決めることはできませんが、横綱として28場所を務めたことや、北の湖と競り合った1978年の横綱昇進劇は、相撲史を振り返る際の重要な材料です。
【プロの結論】二代目若乃花を評価する際には、少なくとも三つの視点が必要です。第一に、幕内優勝4回という数字と横綱在位28場所を合わせて見ること。第二に、若三杉時代の人気と横綱昇進の経緯を区別して理解すること。第三に、現役引退後も間垣親方として弟子を育て、相撲協会の運営に携わった歩みを評価に含めることです。
【二代目若乃花】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:二代目若乃花の本名と最高位は何ですか?
A1:本名は下山勝則で、最高位は第56代横綱です。若三杉の四股名で活躍した後、1978年の横綱昇進に伴って若乃花を名乗りました。
Q2:二代目若乃花の死因は何ですか?
A2:2022年7月16日、肺がんのため大阪市内の病院で亡くなりました。69歳でした。日本相撲協会は同月18日に訃報を発表しています。
Q3:二代目若乃花と花田虎上は同一人物ですか?
A3:別人です。二代目若乃花は本名・下山勝則の第56代横綱。花田虎上は本名・花田勝の第66代横綱で、引退後に花田虎上の名で活動しています。
Q4:二代目若乃花はなぜ引退したのですか?
A4:1983年1月場所を最後に引退しました。報道では、横綱昇進後に肝臓病やけがなどの健康問題に苦しんだことが伝えられています。
Q5:二代目若乃花は引退後、何をしていましたか?
A5:年寄・間垣を襲名し、間垣部屋を創設して後進を育成しました。2007年に脳内出血で倒れ、2013年12月に健康上の理由で日本相撲協会を退職しました。
まとめ:二代目若乃花の実績と人物像を正しく理解するために
二代目若乃花こと若乃花幹士は、本名を下山勝則といい、若三杉時代から人気を集めて第56代横綱に昇進した力士です。幕内優勝4回、生涯戦歴656勝323敗85休という記録を残し、1983年1月場所で現役を引退しました。
引退後は間垣親方として部屋を運営し、後進の育成や日本相撲協会の理事職にも携わりました。晩年は健康問題に直面し、2022年7月16日に肺がんのため69歳で逝去しています。
初代若乃花は師匠であり、後に義父となった人物。花田虎上は第66代横綱で、二代目若乃花とは別人です。この三者を区別することが、若乃花という四股名の歴史を理解する出発点になります。
2026年現在も、日本相撲協会の公式記録や当時の報道をたどれば、二代目若乃花の競技成績、横綱昇進、間垣親方としての歩みを確認できます。優勝回数だけでなく、相撲の技術、横綱としての在位期間、引退後の指導歴まで含めて振り返ることで、その功績をより正確に捉えられます。 (出典: 二 代目 若乃花(Yahoo!ニュース))