五代目片岡我當とは?経歴・代表作・死因、最後の舞台と上方歌舞伎への功績を徹底解説
五代目片岡我當(かたおか・がとう)は、上方歌舞伎を代表する立役の一人として、長年にわたり舞台に立ち続けた歌舞伎俳優です。本名は片岡秀公(かたおか・ひできみ)。十三代目片岡仁左衛門の長男として1935年1月7日に生まれ、1940年に初舞台を踏み、1971年に五代目片岡我當を襲名しました。
2025年5月11日、90歳で逝去したことが同年7月に公表されました。晩年まで歌舞伎界に足跡を残した我當は、『新口村』の孫右衛門や『沼津』の平作などで知られ、若手俳優の指導や学生向けの歌舞伎鑑賞教室にも尽力しました。2026年現在、改めて注目したいのは、名門・片岡家の一員としての経歴だけでなく、上方歌舞伎の芸を次世代へ伝えた功績です。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 読み方・本名:片岡我當は「かたおか・がとう」。本名は片岡秀公(ひできみ)。
- 経歴・代表作:1940年に初舞台、1971年に五代目を襲名。『新口村』『沼津』などの義太夫狂言で存在感を示した。
- 逝去・功績:2025年5月11日に肺炎のため90歳で逝去。2020年2月の『八陣守護城』が最後の舞台となり、上方歌舞伎の継承と後進育成に力を尽くした。
【片岡我當とは】読み方・本名・2026年現在の状況
片岡我當の読み方は「かたおか・がとう」です。「我當」は代々受け継がれてきた歌舞伎の名跡で、五代目を名乗った人物が、今回取り上げる片岡秀公です。屋号は松嶋屋で、1935年1月7日に東京で生まれました。
日本俳優協会の公式略歴や歌舞伎俳優名鑑によると、我當は十三代目片岡仁左衛門の長男として誕生しました。幼少期から歌舞伎の世界に身を置き、1940年10月に初舞台を踏んでいます。その後、長年にわたり上方歌舞伎を中心に、江戸歌舞伎にも活動の幅を広げました。
2026年現在、片岡我當はすでに逝去しています。2025年5月11日に90歳で亡くなり、同年7月17日に松竹の発表などを通じて訃報が広く報じられました。発表まで約2か月を要したことから、訃報に接した時期と実際の逝去日を混同しないことが大切です。
歌舞伎俳優としての我當を理解するうえでは、名跡や家柄だけで評価を終わらせない視点が欠かせません。彼は、父から受け継いだ役を自分の芸として磨き上げる一方、若い俳優への指導や観客の育成にも取り組みました。舞台で演じることと、芸を次の世代に残すこと。その両方に長く携わった人物です。

【五代目襲名まで】1940年の初舞台から1971年の襲名へ
片岡我當の芸歴は、5歳のときに踏んだ初舞台から始まります。1940年10月、大阪・歌舞伎座で片岡秀公を名乗り、おつる役を演じました。初舞台の演目については、資料によって『堀川』または『近頃河原の達引』と表記されていますが、1940年10月に大阪で初舞台を踏んだことは各資料で一致しています。
幼少期から舞台経験を重ねた我當は、1971年2月、大阪・新歌舞伎座で五代目片岡我當を襲名しました。日本俳優協会の略歴には、『さくら時雨』の灰屋三郎兵衛、『二月堂』の良弁大僧正などを勤めたことが記されています。襲名は、単なる芸名の変更ではなく、片岡家に伝わる芸と役柄を引き継ぐ節目でした。
若い頃には二代目尾上松緑に師事し、江戸歌舞伎の荒事も学びました。上方歌舞伎の立役としての持ち味を守りながら、異なる芸風の演目にも取り組めたことが、我當の幅広い役域につながっています。
主な経歴を時系列で整理すると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 主な内容・意義 |
|---|---|---|
| 1935年1月7日 | 誕生 | 東京生まれ。十三代目片岡仁左衛門の長男。 |
| 1940年10月 | 初舞台 | 大阪・歌舞伎座で片岡秀公を名乗り、おつる役を演じる。 |
| 1971年2月 | 五代目片岡我當を襲名 | 大阪・新歌舞伎座で『二月堂』の良弁大僧正などを勤める。 |
| 1972年5月 | 重要無形文化財保持者に総合認定 | 伝統芸能の保持者として認定を受ける。 |
| 1980~1990年代 | 海外公演などに参加 | アメリカ、カナダ、メキシコ、台湾などで公演に参加。 |
| 2005年4月 | 旭日双光章を受章 | 長年の活動と功績に対して叙勲を受ける。 |
| 2020年2月 | 最後の舞台出演 | 歌舞伎座の『八陣守護城』で佐藤正清を演じる。 |
| 2025年5月11日 | 逝去 | 90歳。肺炎のため東京都内の病院で亡くなる。 |
この経歴から読み取れるのは、我當が長い芸歴のなかで、舞台に立つ俳優としてだけでなく、伝統芸能を支える立場も担っていたことです。襲名後には国内外の公演に参加し、各種の賞や叙勲を受けながら、歌舞伎の継承に携わりました。
【代表作を解説】『新口村』『沼津』で見せた我當の芸
片岡我當の代表作を語るうえで欠かせないのが、『恋飛脚大和往来』の「新口村」に登場する孫右衛門と、『伊賀越道中双六』の「沼津」に登場する平作です。いずれも義太夫狂言の重要な役柄で、物語の背景や人物の心情をせりふと演技で深く表現する力が求められます。
歌舞伎俳優名鑑「想い出の名優篇」では、我當の芸風について、明快なせりふ回しや堂々とした舞台姿、役柄ににじむ滋味深さが紹介されています。とりわけ『新口村』の孫右衛門や『沼津』の平作では、素朴な人間性のなかに情を表現する演技が持ち味でした。
『新口村』の孫右衛門は、親子の情や人間としての苦悩が物語の核となる役です。一方、『沼津』の平作も、人物の境遇や心の動きが観客の感情に強く訴えかける役柄として知られます。我當の芸は、派手な動きだけでなく、人物の内面をせりふや間、たたずまいによって表現するところに特色がありました。
また、『近頃河原の達引』の猿廻し与次郎、『仮名手本忠臣蔵』九段目の加古川本蔵、『熊谷陣屋』の弥陀六、『輝虎配膳』の長尾輝虎なども重要な役どころです。義太夫狂言だけでなく、新歌舞伎の『修禅寺物語』で夜叉王、『将軍江戸を去る』で山岡鉄太郎を演じるなど、幅広い作品に取り組みました。
さらに、『時平の七笑』の藤原時平や『日招ぎの清盛』の平清盛でも存在感を示しました。こうした役歴は、我當が特定の役柄だけにとどまらず、作品ごとに異なる人物像を表現できる俳優だったことを物語っています。
代表作を知る際は、作品名だけでなく、我當が演じた役名にも注目すると理解が深まります。歌舞伎では同じ演目でも、演者によって人物の印象や物語の受け止め方が変わります。我當の場合は、義太夫狂言に対する深い理解と、情感のこもった演技が大きな見どころでした。

【家系図・家族構成】十三代目片岡仁左衛門との親子関係
片岡我當の家族関係で特に重要なのは、父が十三代目片岡仁左衛門であり、弟に二代目片岡秀太郎と十五代目片岡仁左衛門がいることです。歌舞伎界の名門・松嶋屋の芸を受け継ぐ家系に生まれ、我當自身も長男として家の芸を支えました。
ここで注意したいのは、我當と十五代目片岡仁左衛門の関係です。両者は親子ではなく兄弟です。父親にあたるのは十三代目片岡仁左衛門で、十五代目仁左衛門は我當の弟にあたります。歴代の仁左衛門の名跡があるため混同されやすいものの、代数を区別すると家族関係を整理しやすくなります。
我當の長男は歌舞伎俳優の片岡進之助です。したがって、片岡進之助は我當の息子にあたります。父から子へと続く芸の継承という観点でも、我當の家系は歌舞伎の歴史を理解するうえで重要です。
家族関係を簡潔にまとめると、次のとおりです。
- 父:十三代目片岡仁左衛門
- 本人:五代目片岡我當(本名・片岡秀公)
- 弟:二代目片岡秀太郎、十五代目片岡仁左衛門
- 長男:片岡進之助
片岡家の家系を理解する際には、血縁関係と芸名の継承を分けて考えることが大切です。歌舞伎の名跡は、同じ名前が複数の世代にわたって受け継がれる仕組みです。名字が同じというだけでは親子か兄弟かを判断できないため、代数と続柄を合わせて確認する必要があります。
また、我當の功績は、名門の血筋を受け継いだことだけにあるわけではありません。父から受け継いだ役を舞台で磨き、後進に芸を伝えたことが、松嶋屋の伝統を支える大きな役割となりました。
【死因と最後の舞台】2025年5月11日に90歳で逝去
五代目片岡我當は、2025年5月11日午後4時37分、東京都内の病院で肺炎のため亡くなりました。90歳でした。訃報は同年7月17日に公表され、共同通信などの報道によって広く伝えられました。葬儀は親族による密葬として、すでに執り行われていたと報じられています。
死因については、共同通信の配信記事や松竹の発表を伝えた報道で、肺炎とされています。逝去日と訃報の公表日には約2か月の隔たりがありますが、亡くなったのは2025年5月11日です。2025年7月に亡くなったわけではありません。
我當の最後の舞台となったのは、2020年2月に歌舞伎座で上演された『八陣守護城』です。十三世片岡仁左衛門の二十七回忌追善狂言として上演され、我當は佐藤正清役を勤めました。歌舞伎美人や歌舞伎俳優名鑑の記録でも、この公演が最後の舞台出演として紹介されています。
最後の舞台が父の追善狂言だったことは、我當の芸歴を振り返るうえで印象的な事実です。父から受け継いだ歌舞伎の芸を長年にわたって舞台で体現してきた俳優が、父をしのぶ公演に出演したことになります。ただし、これを本人の意図や心境についての直接的な発言と混同することはできません。確認できるのは、公演の位置づけと最後の出演記録です。
なお、最後の舞台が2020年だったことと、2025年に亡くなったことは区別して理解する必要があります。舞台への最後の出演から逝去までには約5年の期間がありました。晩年の活動状況を調べる場合も、最後の舞台の日付と逝去日を別々に確認することが重要です。

【受賞歴と上方歌舞伎への功績】重要無形文化財の総合認定とは
片岡我當は、舞台での実績に加え、伝統芸能の継承に関する評価も受けてきました。日本俳優協会と歌舞伎俳優名鑑に記録されている主な受賞・認定歴には、1971年の大阪府民劇場奨励賞、1972年の重要無形文化財保持者(総合認定)、1997年の京都府文化功労賞、1998年の第17回真山青果賞大賞、2005年の旭日双光章などがあります。
主な受賞歴は以下のとおりです。
- 1971年:大阪府民劇場奨励賞
- 1972年:重要無形文化財保持者(総合認定)
- 1984年:歌舞伎座優秀賞
- 1997年:京都府文化功労賞、十三夜会賞
- 1998年:第17回真山青果賞大賞
- 2004年:国立劇場特別賞
- 2005年:旭日双光章
なかでも重要なのが、1972年に認定された「重要無形文化財保持者(総合認定)」です。この制度上の区分は、個人の技芸を対象とする「各個認定」とは異なり、伝統芸能を保持する団体の構成員として認定するものです。一般に「人間国宝」と呼ばれる個人の各個認定と、総合認定を同じものとして扱わないことが重要です。
我當は上方歌舞伎の継承にも積極的に取り組みました。歌舞伎美人の訃報記事などによると、「上方歌舞伎会」などで若手俳優を指導し、関西の学生を対象とした歌舞伎鑑賞教室にも長年携わりました。舞台で優れた演技を披露するだけでなく、次の世代が歌舞伎に触れ、学び、演じる機会をつくる活動を続けたのです。
この取り組みには、伝統芸能を維持するための実践的な意味があります。歌舞伎は、作品や台本が残っているだけでは継承できません。せりふの言い回し、身体の使い方、役柄の解釈、舞台上の間合いといった技芸を、実際の稽古や公演を通じて次の世代へ伝える必要があります。我當の若手指導は、そうした継承の一端を担うものでした。
さらに、学生向けの歌舞伎鑑賞教室は、将来の観客を育てるという意味でも重要です。伝統芸能の存続には、演じる側の育成だけでなく、作品を理解し、鑑賞する人々の裾野を広げる取り組みも欠かせません。我當の活動は、舞台芸術の継承と観客層の拡大という二つの側面にまたがっていました。
2005年の旭日双光章をはじめとする受賞歴は、こうした長年の活動を振り返る手がかりになります。ただし、賞の数だけで俳優の芸を評価することはできません。『新口村』や『沼津』などの代表的な役柄、若手俳優への指導、学生向けの鑑賞機会づくりをあわせて見ることで、我當の功績をより立体的に理解できます。
【片岡我當】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:片岡我當の読み方と本名は?
A1:読み方は「かたおか・がとう」です。本名は片岡秀公(かたおか・ひできみ)。五代目片岡我當として活動し、屋号は松嶋屋でした。
Q2:片岡我當はいつ亡くなりましたか?死因は何ですか?
A2:2025年5月11日午後4時37分、90歳で亡くなりました。共同通信の配信記事などによると、死因は肺炎です。訃報が公表されたのは同年7月17日でした。
Q3:片岡我當と十五代目片岡仁左衛門は親子ですか?
A3:親子ではなく兄弟です。二人の父親は十三代目片岡仁左衛門です。片岡我當の長男は歌舞伎俳優の片岡進之助です。
Q4:片岡我當の代表作は何ですか?
A4:『新口村』の孫右衛門、『沼津』の平作、『近頃河原の達引』の猿廻し与次郎などが代表的な役柄です。『仮名手本忠臣蔵』九段目の加古川本蔵や『熊谷陣屋』の弥陀六なども知られています。
Q5:片岡我當の最後の舞台は何ですか?
A5:2020年2月、歌舞伎座で上演された『八陣守護城』です。十三世片岡仁左衛門の二十七回忌追善狂言で、佐藤正清役を勤めました。
Q6:片岡我當は人間国宝だったのですか?
A6:1972年に重要無形文化財保持者(総合認定)を受けています。総合認定は団体の構成員として伝統芸能を保持する認定で、個人の技芸を対象とする各個認定とは区別されます。両者を同一の制度として扱わないことが大切です。
まとめ:【プロの結論】片岡我當が上方歌舞伎に残したもの
五代目片岡我當は、1940年の初舞台から1971年の襲名を経て、上方歌舞伎を中心に幅広い役柄を演じ続けた歌舞伎俳優です。『新口村』の孫右衛門や『沼津』の平作などで情感豊かな演技を見せ、江戸歌舞伎の役柄にも取り組みました。
2025年5月11日に90歳で逝去し、最後の舞台は2020年2月の『八陣守護城』となりました。重要無形文化財保持者(総合認定)や旭日双光章などの記録に加え、上方歌舞伎会での若手指導や学生向けの歌舞伎鑑賞教室への取り組みも、その歩みを語るうえで欠かせません。
片岡我當の功績を理解するための判断基準は、三つあります。第一に、初舞台や襲名などの経歴を正確に押さえること。第二に、『新口村』『沼津』などの役柄を通して、どのような芸風を築いたかを見ること。第三に、受賞歴だけでなく、後進の育成や観客層の拡大に果たした役割にも目を向けることです。
歌舞伎の伝統は、名跡を受け継ぐだけでは続きません。舞台で芸を磨き、稽古で後進に伝え、観客に作品の魅力を届ける営みがあって初めて、次の世代へとつながります。片岡我當の生涯は、上方歌舞伎を支えた一人の俳優の歩みであると同時に、伝統芸能を継承するとはどういうことかを考える手がかりでもあります。 (出典: 片岡 我 當(Yahoo!ニュース))