中尾彬のねじねじはなぜ生まれた?由来・巻き方・400本の整理と2026年現在を徹底解説
俳優・中尾彬さんのトレードマークとして知られる「ねじねじ」。首元にストールをねじり合わせた独特のスタイルは、映画やドラマだけでなく、バラエティー番組でも強い印象を残しました。実は、このファッションは最初から計算して生み出されたものではありません。インドネシアでの思いがけない出来事と、俳優・神田正輝さんのひと言が、誕生のきっかけになったと伝えられています。
さらに、妻の池波志乃さんが「ねじねじ」と名付けた経緯、約400本に及んだストールのコレクション、終活で約200本を整理したエピソードも見逃せません。中尾さんは2024年5月16日に81歳で亡くなりましたが、その個性的な装いは今も広く知られています。2026年現在の情報も踏まえ、誕生秘話から巻き方、コレクションのその後までを詳しく解説します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 由来:インドネシアのバティックを首に巻いたことがきっかけ。偶然できたスタイルを神田正輝さんに褒められ、定番化したと本人が語っています。
- 命名:「ねじねじ」という呼び名を考えたのは、妻の池波志乃さんです。
- コレクション:約400本を所有し、終活で約200本を整理。その後も買い足していたことが報じられています。
- 現在:中尾さんは2024年5月16日に心不全のため81歳で逝去。2025年には池波さんが思い出や遺品整理について語っています。
【中尾彬のねじねじ】由来は偶然だった?誕生秘話を解説
中尾彬さんのねじねじが生まれたきっかけは、インドネシアへの仕事での渡航でした。2021年6月、文化放送のラジオ番組「くにまるジャパン 極」に妻の池波志乃さんと出演した際、中尾さんは、ねじねじを着け始めたのは「20年くらい前かな」と振り返っています。
本人の説明によると、もともと身に着けていたのはインドネシアの染め物であるバティックでした。ドラマのロケで訪れた同国でその布を気に入り、購入していたところ、帰国時に空港で飛行機が飛ばないというハプニングに遭遇します。
空港で待つ間、寒さを感じた中尾さんは、首に掛けていたバティックをいじりながら過ごしていました。その布をねじっているうちに、偶然、特徴的な形ができあがったといいます。
そこで反応したのが、同行していた俳優の神田正輝さんでした。スポーツ紙の報道によると、神田さんは中尾さんの首元を見て、格好いいという趣旨の言葉を掛けたそうです。中尾さんは、その反応をきっかけに「これでいいのではないか」と考え、意識的にねじって着けるようになりました。
つまり、ねじねじはファッションデザイナーが考案したスタイルでも、最初から完成形を目指して作った装いでもありません。偶然生まれた形に、他者からの肯定的な反応が加わり、本人の定番へと変化したものです。
この経緯は、2015年4月にテレビ朝日系「徹子の部屋」で中尾さんと池波さんが語った内容や、2021年の文化放送出演時のエピソードとして報じられています。誕生の細部には番組ごとの語り方の違いがありますが、インドネシア、バティック、空港での足止め、神田さんの称賛という流れが、代表的な誕生秘話です。

【バティックと神田正輝】ねじねじが定番になった理由
ねじねじの誕生を理解するうえで欠かせないのが、素材となったバティックです。バティックは、ろうなどを用いて布に模様を施し、染色する技法や、その技法で作られた布を指します。インドネシア、とりわけジャワ島の伝統的な染織文化として知られています。
中尾さんが使用していたのは、一般的な厚手の防寒用マフラーとは異なる、シルクなどの薄手の布でした。布のしなやかさや長さが、首元でねじり合わせる独特の形を作るうえで重要だったと考えられます。
ここで注目したいのは、単に珍しい布を身に着けていたことではありません。中尾さんは、偶然できた巻き方を神田さんに褒められたことで、自分のスタイルとして取り入れるようになりました。人からの反応を受け、本人が気に入った装いを繰り返し使うことで、次第にトレードマークとして定着していったのです。
また、ねじねじは中尾さんのファッション全体とも相性がよいアイテムでした。首元に独特のボリュームと動きが生まれるため、シンプルな服装でも個性を演出できます。画面越しでも識別しやすく、俳優としての存在感とは別の形で人物像を印象づける効果がありました。
中尾さんは映画やドラマで幅広い役柄を演じる一方、バラエティー番組でも親しまれた俳優です。作品によって演じる人物が変わっても、本人が出演する場面では、ねじねじが中尾さんらしさを伝える視覚的な目印になりました。
こうして考えると、ねじねじが長年愛された理由は、奇抜さだけではありません。偶然から始まったこと、本人が気に入って継続したこと、そして画面を通じて認識されやすかったこと。この三つが重なり、ひとつのファッションが本人の代名詞にまで成長したのです。
【池波志乃が命名】「ねじねじ」という呼び名と約400本のコレクション
「ねじねじ」という親しみやすい呼び名を考えたのは、中尾さん本人ではなく、妻の池波志乃さんです。2021年の文化放送「くにまるジャパン 極」出演時、中尾さんは「ねじねじ」という言葉を志乃さんが作ったと説明したとスポニチアネックスが報じています。
独特な巻き方そのものは偶然から生まれましたが、それを短く覚えやすい言葉で表現したことも、広く知られるようになった理由の一つです。見た目を説明する際にも使いやすく、番組や記事でも取り上げやすい名称でした。
さらに驚かされるのが、コレクションの規模です。2015年の「徹子の部屋」出演時、中尾さんは、ねじねじ用の布をおよそ400本所有していたと説明しました。季節や冠婚葬祭など、場面に合わせて使い分けていたそうです。
ストールは単なる防寒具ではなく、ネクタイのように服装や場面に合わせて選ぶアイテムだったことが分かります。池波さんも同番組で、ねじねじを自分で作るのは難しいという趣旨の話をしており、巻き方そのものも中尾さんの個性を構成する要素でした。
約400本から整理へ――報道でたどるコレクションの変化
ねじねじの本数については、終活や遺品整理の時期によって報道内容が異なります。主な出来事を整理すると、次のとおりです。
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 2015年4月 | 「徹子の部屋」に夫婦で出演 | 約400本を所有し、季節や冠婚葬祭に応じて使い分けていたと説明。 |
| 2018年8月 | 終活による整理が話題に | 約400本のうち約200本を処分したと、夫婦がテレビ番組などで明かした。 |
| 2021年6月 | ラジオ番組で誕生秘話を披露 | 約200本を整理した後も買い足していたことや、池波さんが「ねじねじ」と名付けたことを語った。 |
| 2024年5月 | 中尾さんが逝去 | 所属事務所が5月22日に訃報を発表。中尾さんは5月16日に81歳で亡くなった。 |
| 2025年5月 | 池波さんが夫との思い出を回顧 | TBS NEWS DIGの取材で、ねじねじを含む遺品整理がほぼ終わっていたことなどが紹介された。 |
特に興味深いのは、約200本を整理した後も、中尾さんが新たに購入していたことです。2021年のスポニチアネックスの記事によると、本人は200本分の収納スペースが空いたため、また買っていたという趣旨の話をしています。
このエピソードから分かるのは、整理が必ずしも趣味をやめることを意味しなかった点です。使わないものを減らしながら、気に入ったものを楽しむ。ねじねじのコレクションは、そうした中尾夫妻の終活の考え方を象徴する話にもなっています。
なお、「約400本」「約200本処分」という数字は、取材や整理の時点ごとに語られたものです。整理後に買い足したことも報じられているため、すべての報道を単純につなげて、逝去時に何本残っていたかを確定することはできません。2025年のTBS NEWS DIGの取材では、愛用したねじねじの一部を友人に譲るなどして、遺品整理がほぼ終わっていたことが紹介されています。

【中尾巻きのやり方】ねじねじを再現する方法と失敗しないコツ
中尾さんのねじねじは、一般に「中尾巻き」と呼ばれることもあります。特徴は、布をただ首に掛けるのではなく、両端をねじり合わせて立体的な形を作ることです。
ただし、中尾さんが実際に愛用していたのは、一般的な厚手のマフラーというよりも、しなやかなストールやシルクの織物でした。素材や長さによって仕上がりが変わるため、手持ちのマフラーで同じ形にならない場合もあります。
基本の巻き方
首に布を掛ける。ストールの両端が、おおむね同じ長さになるように首に掛けます。
片方の端をねじる。布の端を持ち、端から中央に向かって軽くねじります。
もう片方もねじる。反対側も同じようにねじり、両端に適度なまとまりを作ります。
両端を合わせてねじり合わせる。二つの端を一本のように絡め、首元に立体的な形を作ります。
端を通して形を整える。布の端をねじりの内側に通すなどして固定し、首元のボリュームと左右のバランスを調整します。
この手順は、中尾巻きとして紹介されている一般的な再現方法の一例です。中尾さん本人が毎回まったく同じ手順で巻いていたことを示すものではありません。実際の仕上がりは布の長さや柔らかさ、ねじりの強さによって変わります。
きれいに仕上げる三つのポイント
1.薄手で柔らかい素材を選ぶ。厚手のマフラーはねじり合わせると太くなりやすく、首元が重たい印象になることがあります。シルクや薄手のストールなど、布同士を絡めやすい素材が向いています。
2.最初から強くねじりすぎない。きつくねじると布の幅が細くなり、硬い印象になりやすいため、全体の形を見ながら調整します。立体感を出しつつ、布の柔らかさが残る程度にするのがコツです。
3.長さを確認してから固定する。短いストールでは、端をねじり合わせた後に長さが足りなくなることがあります。中尾さんのストールについても、ねじねじ用に贈られた布が短すぎて使えなかったというエピソードが、池波さんの発言として報じられています。
特に注意したいのは、布が厚すぎる場合です。池波さんは、厚手で生地がよいストールをねじると、しめ縄のように太くなってしまうことがあったと振り返っています。高価な素材であれば必ずうまく巻けるわけではなく、ねじりやすさと長さが重要なのです。
中尾巻きを日常のファッションに取り入れるなら、まずは薄手で長さに余裕のあるストールから試すとよいでしょう。中尾さんの装いをそのまま再現することよりも、素材に合った形を見つけることが、きれいに仕上げる近道です。
【中尾彬ねじねじの現在】2024年の死去と2026年に知っておきたいこと
中尾彬さんは2024年5月16日、心不全のため81歳で亡くなりました。所属事務所の古舘プロジェクトは同月22日に公式発表を行い、葬儀・告別式は本人と遺族の意向により近親者のみで執り行ったと報告しています。
そのため、2026年現在、「中尾彬のねじねじは今も本人が着けているのか」という疑問への答えは明確です。中尾さん本人が新たに着用することはありません。一方、誕生秘話や愛用していた布については、過去の出演映像や報道、池波さんによる回顧を通じて、その人柄とともに語り継がれています。
2025年5月には、TBS NEWS DIGが池波さんへのインタビューを公開しました。中尾さんが亡くなってから1年を迎えた時期の取材で、池波さんは夫との思い出や現在の暮らしについて語っています。記事では、ねじねじを含め、長年取り組んできた終活によって遺品整理がほぼ終わっていたことも紹介されました。
中尾さんと池波さんは、2018年に結婚40周年を迎えた夫婦です。二人は早くから身の回りのものを整理する終活に取り組み、その考え方を著書『終活夫婦』でも紹介しました。ねじねじを減らした話も、単に大量の衣類を処分したというだけでなく、これからの人生に必要なものを選び直す取り組みの一部でした。
2025年の取材で池波さんは、夫を亡くした後も、日々の会話や思い出を通じて中尾さんを身近に感じているという趣旨の心境を明かしています。夫婦の関係を振り返る証言は、ねじねじというファッションが、単なる衣類のコレクションではなく、二人の生活や思い出と結びついていたことも伝えています。
「ねじねじ400本」は現在も残っているのか
約400本という数字は、中尾さんが愛用していたストールの規模を示すものとして複数の報道に登場します。ただし、終活での処分や買い足し、逝去後の譲渡・整理を経ているため、2026年時点で約400本すべてが同じ状態で保管されていると考えるのは適切ではありません。
また、ねじねじのすべてが中尾さんの手元に残されたわけではありません。報道では、使わないものを処分したり、人に譲ったりしたことが伝えられています。現在の正確な残存本数や、個々のストールの保管先については、公開された報道だけでは一律に断定できません。
一方、ねじねじが中尾さんの象徴として記憶され続けていることは、誕生秘話やコレクションのエピソードが、逝去後も繰り返し取り上げられていることからもうかがえます。本人の着用は終わっても、ファッションとしての印象や、夫婦のエピソードを伝える存在として残っているのです。

【中尾彬ねじねじ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:中尾彬のねじねじは、なぜ始まったのですか? A1:インドネシアで購入したバティックを首に巻いていた際、空港で飛行機が飛ばず、待ち時間に布をいじっていたところ偶然できたと伝えられています。神田正輝さんに格好いいと褒められたことが、定番化するきっかけになりました。
Q2:「ねじねじ」と名付けたのは誰ですか? A2:妻の池波志乃さんです。中尾さん自身が2021年のラジオ番組で、呼び名を考えたのは志乃さんだと説明したことが、スポニチアネックスで報じられています。
Q3:中尾彬はねじねじを何本持っていたのですか? A3:2015年のテレビ出演時には約400本を所有していたと説明しています。その後、終活で約200本を整理したことが報じられましたが、整理後に買い足したことも語られているため、逝去時の正確な本数は一つの数字に確定できません。
Q4:ねじねじはどのように巻けばよいですか? A4:薄手で長さのあるストールを首に掛け、両端をねじって合わせ、さらにねじり合わせて形を整える方法が一般的です。厚手のマフラーでは太くなりやすいため、柔らかな素材を使うと再現しやすくなります。
Q5:中尾彬はいつ亡くなりましたか? A5:2024年5月16日、心不全のため81歳で亡くなりました。所属事務所の古舘プロジェクトが同月22日に公式発表しています。
Q6:中尾彬のねじねじは2026年現在、どうなっていますか? A6:中尾さん本人はすでに逝去しており、新たに着用することはありません。2025年のTBS NEWS DIGの取材では、池波さんがねじねじを含む遺品の整理について語っています。個々のストールの保管先や現在の正確な本数については、公開情報からは確定できません。
まとめ:中尾彬のねじねじが今も記憶に残る理由
中尾彬さんのねじねじは、インドネシアのバティックを偶然ねじったことから生まれ、神田正輝さんの称賛をきっかけに本人の定番スタイルとなりました。そして、妻の池波志乃さんが「ねじねじ」と名付けたことで、特徴的な装いは覚えやすい呼び名とともに広く知られるようになりました。
約400本に及ぶコレクションや、終活で約200本を整理したエピソードからは、ファッションへのこだわりだけでなく、気に入ったものを楽しみながら身の回りを整える夫婦の考え方もうかがえます。処分した後も買い足していたという話は、整理することと、好きなものを楽しむことが両立していた点をよく表しています。
2024年5月16日に81歳で逝去した中尾さん。2026年現在、ねじねじは本人が着用するファッションではなく、出演映像や報道、池波さんの回顧を通じて振り返られる存在になりました。それでも、誕生のきっかけが偶然だったこと、神田さんとのエピソード、池波さんが名付けた呼び名、約400本のコレクションという具体的な物語は、今も中尾さんの個性を伝えています。
ねじねじが長く人々の記憶に残っている最大の理由は、単に珍しい巻き方だったからではありません。偶然生まれたスタイルを本人が気に入り、繰り返し身に着け、周囲の人々とのエピソードとともに育てていったからです。中尾彬という俳優の個性と人生を象徴する装いとして、ねじねじはこれからも語り継がれていくでしょう。 (出典: 中尾 彬 ねじ ねじ(Yahoo!ニュース))